長年付き添ってきた自分のコンプレックスの真実
すっかりこのブログも放置していたぐふふ・・・。
日記的なものはインスタグラムで日記のように書いているけれど、
なんだかキラキラしていてポジティブなことしか書いていけないような気がしてしまいこのブログに戻ってきた。
そういう所が自分が陰キャなんだな・・・と自分でも笑ってしまう。
最近コロナでセルフ自粛を強化している中で暇でtiktokを見たら本の紹介の動画を挙げている人がいた。
その文章が読みたくなるうまい文章で好奇心旺盛な自分は活字にのめりこんでいった。
ほとんどミステリー小説を読んでいるのだが、あらすじがある程度わかっていて興味をそそられないと本を読む気が湧き出てこないので、
概要動画をyoutubeで探すようになり。最近心に安心感を与えたのがコレ
このサムネをみた感想「わ~インテリ~!」だったが見た後の自分は肩の荷が下りたような気がるする。
「性格や容姿やメンタルコントロールなどは環境は努力や環境で決まる。もしくは努力でなんとかできる暗黙のルールとして自分にも社会にも無意識に存在している。
体型や性格や才能はほとんど遺伝なんだよ。
そして、日本人は繊細だからすぐ折れるけど環境を選べばきれいな花を咲かすんだよ」という本。
見た後、読んだ後に自分の人生と家族を振り返る。
小学生のころから数学が特に苦手だった。
最初は中の上ぐらいの成績でそれなりに成績は普通だったが、
突然出てきた記号(°やaやxやπなど)が出てきてから成績が落ちていった。
頭のなかで「なんでこの記号なんだろう。なんでこの数式が定義になったのだろう」とそもそもに疑問に思っていたからだった。
先生に聞いても「それは大学で学ぶことだから今はいいよ。」と言われ
結局根本な疑問が頭の隅に残ったまま、とりあえずの定義として進めることができず、先生の言っていること分からなくなっていた。
そんなこんなでどんどん成績が下がっていく。
そして段々自分への自信もなくなり、「私は馬鹿だから成績落ちたんだ」とずっと思っていた。
しかし、この本を通りに考えるとこれは母の外国家系がこの考えに当てはまることに気づいた。
母の母国はフィリピン。
大変お気楽でポジティブで今を生きている素敵な国だ。
まだ武漢でコロナが出ましたとテレビで放送された頃フィリピンへ行った。
25年以上ぶりに会う親戚と、初めましての自分より年下の子供たち。
熱心にフィリピンのことを教えてくれ、私も楽しく会話してコミュニケーションをとっていた。
日本のことを話すと、なぜそうなの?なんでこの仕組みなの?と、What How Whyがすごく多い。
日本人のように「そういうものなんだ」と察することは殆どなかった。
うまく英語で伝えることができずにいると、興味を失ってしまい「そっか、よくわかんないけどいいね!(またはなんとかなる!)」になる。
自分の「理解した上でないと進めない」のルーツはここだ!!とコナンばりの感を働かせた。
そんな自分の嫌いな性格を、家族に当てはめてみると「ここか・・・。」と思う部分がわんさかわんさか出てくる。
人生で一番の大発見である。なぜ早くこれに気が付かなかったんだ!と肩に何十年ものしかかっていた肩の荷が下りた。
「私だけおかしい」と責めていた考えは、実は家族や親戚なども同じような考えや悩みを持っていて「私だけじゃなかったんだ」という気持ちに代わって大分楽になった。
ジメジメした10代を送っていた昔の自分に言ってやりたかったな・・。頑張ったね自分・・。
きっとこれから無理に自分を責め続けることはないだろう。
そう考えられるようになったのは自分にとって大成長である。
そしてこの本の良い所は「自分に合った環境を選ぶ」という所
は次回きちんと自分の胸に落とせたら書きたいです。
*1:色んな考えがありますので不愉快に思う方がいるのは当然です。あくまで自分の場合です。こんなの書かなくてもわかるだろうけど